ひらがな カタカナ 元の漢字

式やる予定で、何を言ってるんだと思われるかもしれないですが、 「うっせぇわ」が流行ってから共感性羞恥の言葉の意味が変わってきてませんか?共感性羞恥は本来「人がが怒られたり恥をかくような場面を見た時に、まるで自分が怒られたり恥をかいているように感じてしまう事」の筈だったのに、今は「誰しもと共有できる、自分の痛々しい過去を思い出して恥ずかしくなる気持ち」という... DXといえば何ですか?最初に思い付いたものを教えてください。 ひらがな・カタカナ 地名(ひらがな・カタカナちめい)は、地名を命名法・由来などをもとに分類した地名種類の一種である。仮名書き地名(かながきちめい)とも呼ばれる。日本の地名表記のなかで漢字で地名を全て表記していない場合に言われる。 概要. 今年106回薬剤師国家試験を受けました。 2019/7/7 ひらがな|美文字の書き方. 私たち日本人は「漢字、平仮名、片仮名」という3種類の文字体系を駆使しています。撮影者としてだけではなく表現者としての道も歩み始めると、「写真」だけではなく「タイトル(画題)」や「キャプション」にも意識を向けるようになってきます。つまり、言葉の力です。「言霊」とも言えますね。そのため筆者は日本語の表記体系を理解し、3種類の文字体系を使いこなすことが日本人特有の表現に繋がると信じています。あ … pykakasiを使うことで漢字、ひらがな、カタカナの変換を簡単に行うことができます。 コマンドプロンプトで以下のコマンドを入力することでライブラリをインストールすることが可能になります。 pip install pykakasi 使用例. どうして日本語は「ひらがな、カタカナ、漢字」を使うのでしょうか。最近ではアルファベット(ABC・・)もよく使うので、4つの種類の文字がある、といえます。 漢字は、生活の中で、よく使われるもので、だいたい「2,000字」もあるので、日本語の勉強をしている人にとっては、とても難しいものだと思います。 最近は日本人の中でも、漢字が読めない、書けない人が増えていて、これはスマートフォンや、コンピューター … phonetic関数では、元のセルの漢字だけでなく、ひらがなも全角カタカナに変換します。そのため、セルに混在するひらがなやカタカナを全角カタカナに統一する用途に利用できます。 ちなみに、ワザ372を参考に元のセルのふりがなの書式を変更すれば、元のデータをひらがなや半角カタカナに統一することもできます。 hint元のセルで文字の種類を統一するには. "コスパが良い"って言葉を使う人の大半は、"パ"について無頓着というか求めてない・・・つまりコスト... 先日ブラタモリで日田市について放送していたのですが、日田市の伝統工芸品である小鹿田焼きの製造は一貫して、蹴りろくろや登窯といった電力に頼らないものでできていると言う話をしていました。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12238942177?fr=ios_other. 2.遠距離無線通信 漢文訓読における添え仮名; 音を示すことを目的とする場合 外来語; 中華圏を除く外国の人名・地名などの固有名詞. 漢字とカタカナとひらがなの使い分け ~ 漢字かなまじり文. ... 東京生まれで長野在住。ちょっぴり辛めの会社員。理屈が通じない妻と理屈が分からない子供2人の4人家族。詳細プロフィールはこちら。. 芸能人ブログ 人気ブログ. 何に対しての言葉でしょうか? ただし、中華圏の固有名詞でも難読などの理由で片仮名表記が使用されることがある。 from pykakasi import kakasi kakasi = kakasi kakasi. 私は息子の教育の仕方を間違えてしまったのでしょうか?初めて投稿するため、稚拙で分かりにくい文章かと思いますが、どうかご了承ください。 ... 去年、息子が東大理科2類に合格した。私たち夫婦は日大(笑)です。トンビが鷹を生んだと職場でひやかされます。しかし、小学生1年生時から勝手に勉強し始めただけです。自由研究で毎年、表彰され突き抜けてはいました。 Python Python3. 結婚式、旦那の会社名がバレるのが嫌です。ただ、旦那は上司を呼びたいとのことで、 それは、トイレやエレベータなどの案... 2015年にオックスフォード大学の「早起きは病気を招きやすい」旨の研究発表がされて以来、「実は早起きは健康に良くない」との話題がネッ... 行政指導を受けるなど、なかなか経営体質が改まらない携帯大手3社ですが、ウォーターサーバの経営の姿勢も、これらの携帯大手3社と酷似して... 先日、「長野は寒冷地か?」と題して投稿した時、長野は標高が高いので、長野より北にある緯度の高い都市よりも寒い、という内容を記述しました。 目次. 皆さんの回答お待ちしています。, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013014340, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BB%AE%E5%90%8D, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Hiragana_origin.svg. 概要. ひらがな; カタカナ; 筆ペンの書き方 ; 通信講座比較; ホーム rss購読 サイトマップ. お絵カキコがありません. 1.1 漢字は1つのかたまりと認識する; 1.2 漢字は主張が強い! 脚注の使い方: 参考文献. カタカナは漢字の一部を切り取り簡略化した文字。 「へ」だけがそっくり. 仕事などで問題にぶつかり、解決の糸口が見えない時がありますが、そんな時は先ず、その問題について「悩んで... 今、世界は新型コロナウィルスによるパンデミックが発生して、未だその収束が見えない状態です。 これでひらがな、カタカナ、漢字変換の6方向の変換ができるようになりました。問題としては漢字変換が絡む変換の精度についてですが、これには多少の妥協が必要そうです。まぁ個人的に変換を駆使して遊ぶ程度ならなんとかなるでしょう。 息子は高校1年次の文理選択時に理数系の教科が苦手だったので文系に進もうとしていました。 2018年7月3日 2020年11月22日. あ 「安」→「あ」 ひらがなの”あ”は、漢字の”安”からできました。 ”安”の草書体を簡略化してひらがなの”あ”となりましたが、現代の”安”をそのまま書き崩してできたわけではありません。 ”安”は、ウ冠「宀」ですが、当時は草書体だけではなく行書体においてもワ冠「冖」を書いて、その下に女を書いていました。 女の字を「く」「ノ」「一」の順に書く時に、「く」の上部がワ冠「冖」の上に突き出ていました。(ちなみに、「ノ … 2020/6/21 その電力に頼らないことを聞き慣れないの熟語一言で〇〇と言い表していたのですが、よく聞き取れませんでした。 2019/05/19 - 「三省堂 スーパー大辞林」によると、下の表の漢字が、それぞれのひらがなの元字としています。ひらがなの成り立ちは元になった漢字を崩して、草書体にしたものを簡略化したようです。現代のひらがなと万葉仮名では、多少違いがありますが、おおむね下の漢字 カタカナに見えなくもない漢字の一覧. でも旦那の会社名がバレるのが嫌 日本語では主に次のような場面で用いられる。. 私には大学2年生の息子が居ます。 カタカナの”ン”の由来を理解するためには、まず撥音便について知っておく必要があります。, カタカナが生まれた時代の当初は、”ン”という字は存在していませんでしたし、「ん」という音の概念もはっきりしていませんでした。, 撥音などの音便は、発音しやすくするために読み方が変化して生まれたもので、「読みて」を「読んで」のように言うようになったのがその一例です。, この”ン”を用いる撥音は、11世紀になってから広まったため、それ以前は文字として”ン”が必要なかったのです。, しかし、上記の様に、「読んで」のように発音する以上、それに相当する文字が必要になったことから、後から追加されました。, ひらがなの場合は、「ん」の発音に比較的近いとされる「む」の音を持つ、漢字”无”の草書体が変化して”ん”となりました。, カタカナの場合も基本的には同じですが、由来については少し異なり、また諸説があります。, さて、まずカタカナの”ン”については、漢字の”尓”の最初の2画から生まれたという説があります。, ”尓”の最初の2画を続けて書くと”ン”を続けて筆記するような字体になることが分かると思いますが、続けて書いていた最初の2画を別々に筆記することで”ン”となったと考えられています。, ”尓”は、漢音で「じ」、呉音で「に」と読みますが、呉音の「に」が「ん」の発音に近かったころからこの字が用いられたと考えられているようです。, 撥音では、「死にて」などは「死んで」に変化(「に」→「ん」)していますし、「なにぬねの」はいずれも舌を口内上部に当てて発音しますから、「ん」に近い音であることが分かると思います。, また、カタカナの”ン”は、漢字の”无”の草書体の簡略化によって生まれたという説があります。, ”无”の草書体を書き崩して生まれたのがひらがなの”ん”ですが、同じ草書体を簡略化して書くようにして、”无”の終画を上に撥ねる形で筆を走らせると”ン”のようになることが分かります。, ”无”は、「ん」の音に近い「む」の読みを持ちますから、ひらがなと同様にこの漢字が用いられたと考えられています。, 最後に、カタカナの”ン”は、撥音を意味する記号”V”から変化して生まれたという説があります。, この説の場合、漢字に由来するわけではないことになりますが、現在では最も有力な説になっています。, この説では、撥音を表す記号として「V」や「レ」のような記号が用いられるようになって、この記号が変化して”ン”になったとしています。, いずれの説においても、「レ」のような字体が変化して”ン”になったという点では共通しているようです。. この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ. JavaScriptが無効です。ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてください。JavaScriptを有効にするには, いろは48文字の元の漢字:ひらがな、カタカナは日本で開発された文字です。夫々の元の漢字を教えてください。北京や上海では早朝に公園の地面に水で文字を書いてトレーニングしています。, こそあど言葉でよく勘違いをしてしまうのを教えてください。本当の理由付きでお願いします, 私の国語力が無いのでしょうか。 金出しただけで何もしてないのに世間はそういう言い方するのでしょうか?. おふろポスター小学校3年生漢字 学習がひらがな・カタカナ・漢字ストアでいつでもお買い得。当日お急ぎ便対象商品は、当日お届け可能です。アマゾン配送商品は、通常配送無料(一部除く)。 3.アンテナ 例えば、コスパが良い車は何?という質問があった場合に、GTRが良いよ!とかNSXが良いよ!という回答をすると、十中八九「そんな高い車の話をしていない」といった回答をされます(知恵袋に限らず) 【 カタカナ(片仮名) 】漢字を使わない名前をお持ちの方はこのページで自分の名前を漢字に変えてみてください。ひらがな(平仮名)は空海が創作したという俗説がある… カタカナ(片仮名)の元となった漢字 | 今から出来る名前の意味付け 名前・漢字の隠れた魅力. しかし私はやりたい事がないなら理系に進んだ方... 106回薬剤師国家試験を受けて222点でした。これは落ちたと覚悟を決めた方がいいでしょうか?. 日本語文字形態(漢字、ひらがな、カタカナ)による認知言語処理の差異 篠塚 勝正 , 窪田 三喜夫 成城文藝 = The Seijo Bungei : the Seijo University arts and literature quarterly (221), 98-84, 2012-12 コスパが良いとは? 結婚式は友達も呼んでやりたい。 以下の画像に、平仮名の筆順(書き順)と発音を示す。 "平仮名の書き順" - YouTube. 漢字とカタカナとひらがなの使い分け ~ 漢字かなまじり文 . 「三省堂 スーパー大辞林」によると、下の表の漢字が、それぞれのひらがなの元字としています。ひらがなの成り立ちは元になった漢字を崩して、草書体にしたものを簡略化したようです。現代のひらがなと万葉仮名では、多少違いがありますが、おおむね下の漢字 知れば日本語がもっと楽しくなる漢字から生まれたひらがなとカタカナの歴史 . タグ「カタカナに見えなくもない漢字の一覧」でニコニコ動画を検索 . 出品者さんが譲渡証明書を書かないとは質問の何処にも書いていないようにおもうのですが。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14238689364. 座席表とかに表記されますよね。 その感染は、当初、ごく一部の地域だけで確認... 先日、同じ職場で気象予報士の資格を持つ人が「太平洋上でハリケーンが発生した。日本の方に近づいている。」と話していて、続いて「このまま... 先日、上田市のアリオへ行ってきましたが、店内をぶらぶらしていると、ある案内表示に目が留まりました。 カタカナに見えなくもない漢字の一覧の記事へ戻る. 脚注. 相対基準だから70%を越えた点数がボー... 織田信長の「是非も無し」はどのような意味でしょうか? 「悩む」と「困る」は違います。 素朴な疑問・発見, 言葉・文字, カタカナの「モ」の由来は漢字の「毛」であるように、カタカナ文字の由来は漢字であることは誰でも知っているところです。, しかし、カタカナの「ラ」の由来が漢字の「良」だと言われても、「どうして?」と、あまりピンとこない人も多いのではないでしょうか。, ここでは、カタカナの由来の漢字だけではなく、どうしてその漢字なのかが分かるように、きちんとまとめました。, カタカナは、日本固有の文字で、ひらがなと同様に、漢字に由来します。つまり、同じような音を表す漢字を用いて、別な文字としてのカタカナが作られました。, 例えば、カタカナの「ニ」は、同じ「に」の音を持つ漢数字「ニ」をもとに作られました。同じように、カタカナの「ミ」は漢数字の「三」、カタカナの「ハ」は漢数字の「八」、また、カタカナの「モ」は漢字の「毛」に由来しています。, これらは、もとの漢字とその漢字から作られたカタカナの文字が、とても似ているので直ぐに理解できます。, しかし、冒頭にあげたように、カタカナの「ラ」の由来が漢字の「良」だと言われても、なぜなのかは、直ぐに理解しにくいところです。, 良という漢字は7画ですが、最初の2画だけを書いてみて下さい。「ラ」の文字に近い形になったのが分かると思います。つまり、この場合は、「良」の最初の2画をもとに作られたのです。, このように、カタカナの由来は、元の漢字からどのように作られたかが分からないと、そのつながりが良く理解できません。しかし、「どのように作られたか」には、いくつかの基本パターンがあります。以下、これらの基本パターンを説明します。, これは最も多いパターンです。漢字はいくつかの画で構成されますが、全体の画のうちの幾つかの画に由来するパターンです。, カタカナの中には、由来する漢字の偏(へん)や旁(つくり)、冠(かんむり)など、漢字の構成部位のいずれかを元に作られたものがあります。, ウ冠(うかんむり)が最も分かりやすい例ですが、カタカナの「ウ」は漢字の「宇」の冠をもとにしています。, 上記にあげた2種が主な基本パターンですが、それ以外にも例外的なカタカナがあります。それらには、書体から変化したもの、画の一部が変化したものなど、上記の基本パターンなどから変化したものや転じたものがあります。, ではカタカナの由来の漢字について、ひとつひとつ示します。ネット上によくある情報には、不明な情報や、いい加減なものが多くあります。, 例えば、カタカナ「ユ」の由来の漢字は「由」ですが、由の中にあるユの形に似た部分を取っているように解釈(下図左)しているものがあります。, しかし、「ユ」は本来、漢字「由」の最後の二画に由来するものですから、正確には下図右のようになります。, つまり、上図下方に示したように、最後の二画を筆で描くようにすると、カタカナの「ユ」のような形状になることが良く分かるかと思います。, ここでは、由来に基づいて自然な形になるように図を付けて表現しました。特に、草体(草書体ともいい、簡略化したくずした漢字)などからの変化の場合は、無理に形にとらわれないように表現しています。, 諸説があるものは複数示しましたが、細かい説は多々あるようですので、一般的なもののみを掲載しました。, つまり、”阿”のこざとへんが簡略化されたのですが、その語源としては行書体の”阿”がもとになっています。, 当時、書かれていた行書体の”阿”では、こざとへんが「阝」のような字体ではなくて「卩」に近い字体になっていました。, この、「卩」の2画目(縦画)が「ノ」のように曲がることで、カタカナの”ア”になりました。, カタカナのアは阿のこざとへんの当時の筆記の形状である「卩」のような形状から変化して生まれた, カタカナ”へ”が、漢字の”部”のおおざと「阝」から変化した過程の筆跡や、カタカナ”マ”の筆跡と区別するために「ノ」のように曲げられたと考えられています。, ”阿”は、阿諛(あゆ)、阿吽(あうん)などの他、阿部などの固有名詞にも使われ「あ」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ア”の音になっています。, ”伊”は、伊豆、伊賀など固有名詞で多く使われ「い」と読みますが、この音がそのままカタカナ”イ”の音になっています。, ちなみに、カタカナの”イ”は、平安時代の中ごろまでは、漢字”伊”の旁(つくり)である「尹」が「イ」の代わりに用いられたこともありました。, うかんむりは「宀」のように3画で書きますが、最後の画を長く伸ばしたことから、カタカナの”ウ”になりました。, ”宇”は、堂宇、宇宙などのように「う」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ウ”の音になりました。, なお、ひらがなの”う”も、漢字の”宇”から生まれましたが、ひらがなの場合は”宇”の草体から変化してできました。, ”江”は、入江(いりえ)、江戸などのように「え」と読みますが、これは訓読みです。(”江”の音読みは「こう」という音です), 仮名のほとんどは音読みに由来しますが、カタカナ”エ”の場合は、漢字”江”の訓読み「え」に由来する珍しいケースです。, カタカナの”オ”は、漢字の”於”の偏(かたへん「方」)から生まれました。(「方」は、ほうへんとも言う), 漢字の”於”の偏は「方」のように書きますが、古来はこれを「オ」のように書いていました。, しかし、古来は二画目の横画「一」を最初に書いて(一画目)から、一画目の「丶」と三画目を続けて一つの画(二画目)として書き、最後に本来は四画目である「ノ」を書き(三画目)、結果として「オ」のような形状の3画の字体として筆記していました。, 従って、”於”のかたへんも「方」ではなく「オ」と書かれていて、これがカタカナ”オ”になりました。, ”於”は、訓読みとして「~に於(お)いて」のように「お」と読みますが、これがカタカナ”オ”の音になった訳ではありません。, 漢字の”於”は、音読みの「お」を使う述語などは馴染みがありませんが、音読みでも「お」の音を持っています。, ちなみに、ひらがなの”お”も漢字の”於”に由来しますが、この場合は、”於”の草書体が変化してできました。, ”加”は、加算などのように「か」と読みますが、この音がそのままカタカナ”カ”の音になっています。, ちなみに、ひらがなの”か”も漢字の”加”に由来しますが、この場合は、”加”の草書体が変化してできました。, カタカナの”キ”は、漢字の”幾”の草書体(草体)から変化して生まれました。つまり、草書体を崩して書いた字体を、改めてきちんと書きなおした(楷書化)ことで、”キ”になりました。, カタカナの”キ”は、ひらがなの”き”が生まれた由来と同じ流れで、ひらがなの”き”の最後の画が省略されて、カタカナの”キ”ができたと言われています。, 従って、ひらがなの”き”もカタカナの”キ”も同じ漢字に由来すると言えますし、ひらがなの”き”からカタカナの”キ”が生まれたと言う解釈もできます。, 由来が分かりやすいように、漢字の”幾”からひらがなの”き”が生まれた字体の変化の流れを下記に示します。, ひらがなの「き」は上記のように漢字の「幾」からできた。その後、ひらがな「き」が変化してカタカナ「キ」となった。, ”幾”の草体は、本来の漢字と少し違うようですが、当時の草書体は上図のように書かれていました。, 詳細を知りたい方は、ひらがなの由来に関する下記の記事のひらがな”き”に関する説明に記載していますので参考にして下さい。, ”幾”は、幾何などのように「き」と読みますが、この音がそのままカタカナ”キ”の音になっています。, また、カタカナの”キ”については、漢字の”起”の最初の3画から生まれたと言う説もあります。, この場合、”起”の最初の3画である「土」の部分が変化して”キ”になったということです。, ”起”は、起床、起業、奮起などのように「き」と読みますが、この音がそのまま”キ”の音になっています。, ”久”は三画で、「ノ」+「フ」+「\」の順に書きますが、最初の2画である「ノ」+「フ」から”ク”となりました。, ”久”は、通常「きゅう」と読みますが、「く」という音読みもあり、その音がカタカナ”ク”の音になっています。仏教用語である「久遠(くおん)」や固有名詞の「久留米」などが「く」と読む一例です。, なお、ひらがなの”く”も漢字の”久”から生まれましたが、ひらがなの場合は”久”の草書体から変化してできました。, ”ケ”の字体を見ると、”介”の最初の3画から生まれたように見えますが、そうではありません。, ”介”の画数は4画ですが、3画目の「ノ」の部分が略されて「个」のような字体になり、3画で書く「个」の2画目を横棒のように書き(横画)、3画目の縦棒(縦画)を「ノ」の形状に筆記することで”ケ”となりました。, ”介”は、介護などのように「かい」と読み、「け」という読み方にはなじみがありません。しかし、”介”には「け」という呉音(音読みの種類のひとつ)としての読み方があり、この音読みの音が、”ケ”の音になっています。, また、カタカナの”ケ”については、漢字の”个”が変形して生まれたと言う説もあります。, ”个”がどのように変形したかについては”介”の場合と同様で、2画目が横画に、3画目の縦画が「ノ」の形状に変化して”ケ”となりました。, 漢字の”个”は、個(箇が本字)に相当する中国語(簡体字)ですが、実は”个”という字体は、箇の略字として漢の時代頃から既に使われていました。, この略字は、個の本字に相当する箇の冠(かんむり)である「竹」の片側を描いたところから生まれました。, ところが、この”个”は、”介”と字形が似ていたため、一个(一個)を一介と誤写・誤用してそれが慣用になった場合があります。四字熟語である一介之士(いっかいのし)などは、本来は一个之士と書くべきところを誤用してそれが定着したひとつの例です。, つまり、”个”と”介”とは字形が似ていて混同された背景があり、本来「け」と読む”介”からではなく、誤用された”个”から”ケ”が生まれたとも考えられているのです。, ”己”は、自己(じこ)などのように「こ」と読みますから、これがそのままカタカナ”コ”の音になっています。, なお、ひらがなの”こ”も、カタカナと同じで漢字の”己”からできましたが、ひらがなの場合は”己”の草体から変化してできました。, ”散”は、散策、散歩など「さん」と読みますが、このうちの一音目の「さ」の音が、カタカナ”サ”の音になっています。, また、カタカナの”サ”は、漢字の”薩”の草冠(くさかんむり)からできたとする説もあります。, これは、菩薩(ぼさつ)を略して「ササ」のように、草冠を2つ続けるような省文が、よく学僧などの間では使われていましたが、この流れから、カタカナの”サ”が生まれたとするものです。, ”薩”は、薩摩など「さつ」と読みますが、このうちの一音目の「さ」の音が、カタカナ”サ”の音になっています。, ”之”の草体の筆記において、最後の画を右上方向に跳ね上げることで”シ”の字体となりました。, ”之”には、音読みで「し」という読み方があり、この音がそのまま”シ”の音になっています。, なお、ひらがなの”し”も漢字”之”の草体から変化して生まれましが、変化の仕方が少し異なることで”し”と”シ”のように全く字体の異なる仮名となりました。, とは言え、”シ”を一筆書きのように書くと”し”の字体に近い形状になることから、字源の漢字が同じ”之”であることが感じ取れます。, 厳密に言えば、当時の”須”は行書体では「彡」の代わりにさんずいを用いて筆記していましたが、さんずいを用いた行書体の筆記における最後の2画(楷書体では3画に相当)から”ス”ができました。, ”須”は、急須、必須など「す」と読みますが、この音がそのまま”ス”の音になっています。, ひらがなの”せ”も、漢字の”世”の行書体が変化して生まれていますが、そのひらがな”せ”が更に変化してカタカナ”セ”になったと言われています。(ひらがな”せ”の1画目と2画目を続けて書くことで、カタカナ”セ”になった), 実際に、現在のカタカナ”セ”のように書かれるようになったのは、室町時代以降と言われていて、それまでは、カタカナでも”せ”のように筆記していました。, ”世”は、世間のように「せ」と読みますが、この音がそのままカタカナ”セ”の音になっています。, ひらがな”せ”もカタカナ”セ”も、共に漢字”世”の草書体が変化したとする説もあります。これは、”世”の草書体と行書体がとても似ている書体であることによります。, また、漢字の”世”が元から”せ”のような字体だったとする説もあります。詳細は、下記の関連記事に記載しています。, ”曽”は、木曽のように「そ」と読みますが、これがそのままカタカナ”ソ”の音になっています。, なお、ひらがなの”そ”も、漢字の”曽”からできましたが、ひらがなの場合は”曽”の草書体から変化しました。, ”多”は、多数のように「た」と読みますが、この音がカタカナ”タ”の音になっています。, 最後の画を、「ノ」のように左方向に曲げているのは、漢字の”千”と区別するためのようです。, ”千”は音読みでは「せん」と読み、千歳、千代のように「ち」と読むのは訓読みで、訓読みに由来する珍しいケースのひとつです。, カタカナの”ツ”は、漢字の”川”の全画から生まれたとする説が有力です。この説では、”川”を続けずに筆記して”ツ”の字体に変化したとされています。, これは、”川”には古音(こおん・呉音が日本に伝わる以前に伝来していた漢字の音)として「つん」の音があり、この一音目の「つ」の音がカタカナの”ツ”の音になったと言われています。, なお、ひらがなの”つ”の由来にも諸説がありますが、カタカナと同様に、漢字の”川”から生まれたとする説が有力です。, ”州”を草書体で書くと、”川”を続けて書いたような筆記になりますが、これを続けずに筆記して”ツ”の字体になったと言われています。, これも、”川”と同じく古音に由来すると言われています。”州”の古音に、「つ」に近い音があることが分かっています。, なお、ひらがなの”つ”の由来にはいくつかの説がありますが、漢字の”州”から生まれたとする説もそのひとつです。, 更に、カタカナの”ツ”は、漢字の”津”の一部から変化して生まれたと言う説もあります。, 津の字体だけを見ると、さんずいの部分が”ツ”に似ている感じがありますので、さんずいがもとになっていると考えてしまうかも知れませんがそうではありません。, もし、さんずいの筆記が語源だとすれば、”ツ”の筆順は今と逆になっていなければ不自然なのです。, 実は、”津”を語源とする根拠は、”津”の字体に直接表れる部分ではなく、その本字(ある漢字のもととなった漢字)の一部である「彡」から変化したと考えるべきです。, ”津”の旁である「聿」は、もとは「聿」そのものと「彡」が合わさってできた会意文字と言われています。(会意文字とは、複数の漢字を合成して別な文字とするもの), 従って、もとの漢字である本字は、下記の図のような字体になっていて、この字体の中の「彡」がカタカナの”ツ”に変化したと考えられています。, ”津”は、興味津々などのように「シン」という音読みしかありませんが、津波などのように「つ」と読む訓読みがあります。, この説では、この訓読みの「つ」の音がカタカナの”ツ”の音になったと考えられています。, そして、カタカナの”ツ”には、更に別な説があり、漢字の”門”の草体から変化して生まれたと言う解釈もされています。, 門を草書体で筆記すると、上記に示したような字体になりますが、この字体が変化して”ツ”になったと考えられています。, 実際の草書体は、図に示したよりも、かなり”ツ”に近い字体をしていて、これがこの説の大きな根拠になっています。, しかし問題は、”門”には本来「もん」や「ぼん」という音読みや、「かど」などの訓読みはあっても、「つ」という読みがないことです。, 敢えてあげれば、訓読みに「と」という特殊な読み方があって、門叶(とが、とがない、とがのう)や門崎(とざき)というように使われますから、恐らくこの「と」の音が「つ」の音に代わって使われたことによるのでしょう。, このように「つ」と「と」を近い音のように扱っている例があることを見れば、これも理解しやすいところです。, ”爪”は4画ですが、初画を省いた最後の3画が変化したものと考えると、字体が似ているため理解しやすいと思います。, しかし、”爪”を草書体で筆記すると筆記が続くことで省画されますが、草書体の字体は初画に相当する上部の「ノ」を省略すると、あたかも”ツ”のような字体になることから、草書体の一部が変化したとも考えられます。, ここでは、あえて「終わりの3画」や「草書体から変化」と言う表現を用いずに、「一部の変化」と記述したのは、両方の解釈が成り立つからです。, なお、この説では、”爪”が爪切りなどのように「つめ」と読むことから、この一音目の「つ」がカタカナの”ツ”の音になったとしています。, つまり、最後の画を取り除いてできたのが”テ”ですが、その際、カタカナ”チ”と区別するために、”テ”の三画目の「ノ」を上に突き出さないようにしたようです。, ”天”は、天井や天気などのように「てん」と読みますが、その一音目の「て」が、カタカナ”テ”の音になっています。, なお、ひらがなの”て”も漢字の”天”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”天”の草書体から変化しました。, ”止”は、止(と)まると言うように「と」と読みますが、これは訓読みで、カタカナ”ト”の音の由来ではありません。, ひらがなの由来の記事における、ひらがな”と”の説明にも書きましたが、”止”には古音(こおん・呉音が日本に伝わる以前に伝来していた漢字の音)として「と」の音があり、これに由来します。, なお、ひらがなの”と”も漢字の”止”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”止”の草書体から変化しました。, また、カタカナ”ト”は、漢字”外”の旁(又は、最後の2画)から生まれたとする説もあります。, ”外”は、外野、内外などのように「がい」と読んだり、外科などのように「げ」と読みますが、音読みにも訓読みにも「と」と言う音はありません。, これは、古音(こおん・呉音が日本に伝わる以前に伝来していた漢字の音)として「と」の音があり、この音がカタカナの”ト”の音になったと考えられています。, 外花を「とばな」、外行を「となめ」、外山を「とやま」のように特殊な読み方をすることがありますが、恐らくこれらは古音に関係があるのでしょう。, カタカナの”ナ”が、「ナ」の字体に定着する以前の平安時代には、”ナ”の代わりに、”奈”の一部の画から生まれた他の字体も使われていました。, 具体的には、”奈”の最初の3画である「大」のような字体や、”奈”の最後の3画である「小」のような字体、”奈”の最後の5画である「示」のような字体などです。, ”奈”は、奈良のように「な」と読みますが、この音がカタカナ”ナ”の音になっています。, なお、ひらがなの”な”も漢字の”奈”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”奈”の草書体から変化しました。, また、カタカナの”ナ”は、漢字の”南”の最初の2画から生まれたとする説もあります。, この説では、”南”の最初の2画である「十」は、漢字の”十”と似ていることから、「ナ」のように左に曲げたのではないかと考えられています。, ”南”は、南北などのように「なん」と読みますが、南無(なむ)などのように「な」(呉音)とも読みます。この呉音である「な」の音が、カタカナ”ナ”の音になったとされています。, 但し、この説は江戸時代に有力視されていましたが、今日では”奈”を語源とする説が一般的です。, その理由は、”奈”の画の一部である、「大」、「小」、「示」などもカタカナ”ナ”の代わりに使われていた経緯から、”奈”を語源とする方が自然だと考えられるようになったからです。, 全角から生まれたカタカナには”ニ”の他にも、「ミ」(三)、「ツ」(川)、「ハ」(八)、「チ」(千)などがありますが、”ニ”は、語源の漢字と字体がほぼ同じ珍しい例です。, ”二”は、二回、二度などと「に」と読みます(呉音)が、この音がそのままカタカナ”ニ”の音になっています。, また、カタカナの”ニ”には、漢字の”仁”の旁(最後の2画)から生まれたと言う説があります。, ”仁”は、仁義のように「じん」と読みますが、呉音では仁王のように「に」と読みます。この説では、”仁”の呉音における「に」の音が、カタカナ”ニ”の音になったとしています。, ”仁”を語源だとする説は、江戸時代には有力視されていましたが、現在では漢字の”二”が語源とする説が一般的です。, それは、江戸時代にはカタカナは漢字の偏や旁などの一部から生まれたとする考え方が強くあったからです。, しかし、上記の「ミ」、「ツ」、「ハ」、「チ」のように全角から生まれたカタカナがいくつもあることから、その説が不自然と考えられるようになって行きました。, なお、ひらがなの”に”は、漢字の”仁”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”仁”の草体が変化してできました。, これは、カタカナの”ヌ”と漢字の”又”を区別するためだったのではないかと考えられています。, ”奴”は、奴隷のように「ど」と読みますが、奴婢(ぬひ)、奴僕(ぬぼく)のように「ぬ」とも読み(呉音)ます。この呉音の読み方の音が、カタカナ”ヌ”の音になりました。, なお、ひらがなの”ぬ”も漢字の”奴”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”奴”の草体が変化してできました。, ”祢”は、禰宜(ねぎ)のように呉音で「ね」と読みます(禰は祢の異体字)が、この呉音の「ね」の音が、カタカナ”ネ”の音になりました。, なお、ひらがなの”ね”も漢字の”祢”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”祢”の草体が変化してできました。, ”乃”は、乃木坂のように「の」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ノ”の音になりました。, なお、ひらがなの”の”も漢字の”乃”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”乃”の草体が変化してできました。, どちらの字体もとても似ていますが、漢字の”八”の二画目は右へ払い、カタカナ”ハ”の二画目は筆を止める点で異なります。, ”八”は、八個のように「はち」又は「はつ」と読みますが、このうちの一音目の「は」の音が、カタカナ”ハ”の音になりました。, ”比”という漢字の右側の「ヒ」の一画目は「ノ」のように右から左に筆を執りますが、古来は右から左に書いていました。, 従って”比”の左側からではなく、”比”の右側(旁)がそのままカタカナの”ヒ”になったと解釈するのが自然です。, ”比”の左側の最後は右上に撥ねているのに対して、”比”の右側は上に撥ねていない(当時は撥ねないで筆記していた)ところも、”比”の旁(右側)がカタカナ”ヒ”の由来であることの表れです。, ”比”は、比較、比率などのように「ひ」と読みますが、この読み方の音がそのままカタカナの”ヒ”の音になりました。, なお、ひらがなの”ひ”も漢字の”比”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”比”の草体が変化してできました。, ”不”は4画ですが、行書体の一画目と二画目を続けて筆記することで、”フ”となりました。, ”不”は、不可、不能のように「ふ」と読みますが、この読みの音がそのまま、カタカナ”フ”の音になっています。, なお、ひらがなの”ふ”も漢字の”不”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”不”の草体が変化してできました。, ”不”の草体の場合は、筆順が一画目が横画で次の2画目は縦画という通常とは異なる順番で、この筆順が崩れてひらかなの”ふ”になっています。, ”部”は、部屋のように「へ」と読みますが、この音がカタカナ”へ”の音になりました。, ひらがなの”へ”も、漢字の”部”から生まれましたが、ひらがなとカタカナの字体が似ていることや、結果として旁(おおざと)から生まれていることから、同一の成り立ちと考えがちです。, 実際は、少し趣が異なり、あくまで、ひらがなは当時”部”の代わりに慣用的に用いられていた「阝」(おおざと)の草体の変化から、カタカナは”部”の旁の変化から、生まれたと考えるのが適切です。, なお、19世紀くらいまでは漢字の”邊”や”皿”がカタカナ”へ”や、ひらがな”へ”の語源だとする説がありましたが、今日ではいずれも間違った説だとされています。, カタカナの”ホ”は、漢字の”保”の最後の4画にあたる「木」の部分から生まれました。, 漢字の中には、”条”など「木」が含まれるものが多くありますが、これらの字は「木」の字体の代わりに「ホ」のような字体で書くのが、当時は通例でした。, 漢字の”保”もこれらの漢字の例外ではなく、「木」の3、4画目を離して筆記する書き方から自然と「ホ」になりました。, ”保”は、保管、保存などのように「ほ」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ホ”の音になっています。, なお、ひらがなの”ほ”も漢字の”保”からできましたが、ひらがなの場合は”保”の草体からできました。, 江戸時代までは、カタカナの”マ”は、”末”の最初の二画のような字体(「ニ」の下の横棒が短い)や、横画「一」の下に「丶」を打つような字体を用いていました。, ”末”は、期末のように「まつ」と読みますが、このうち一音目の「ま」が”マ”の音になりました。, ひらがなの”ま”も漢字の”末”から生まれましたが、ひらがなの場合は”末”の草書から生まれました。, また、カタカナの”マ”は、漢字の”万”の2画目の省略(1画目と3画目)によって生まれたとする説もあります。, 3画目を左に払わずに留めて書き、1画目と続けて筆記することで”マ”になったという説です。, ”万”は、万力のように「まん」と読みますが、このうち一音目の「ま」がカタカナ”マ”の音になったと考えられています。, 更に別な説として、漢字の”万”の最初の2画から生まれましたとするものがありますし、漢字の”末”と”万”のそれぞれの1、2画目の混合によって生まれたとするものもあります。, いずれの説も、江戸時代まで書かれていた字体を経て”マ”になったと考えられているようです。, 諸説はあるものの、漢字の”末”の最初の2画から生まれたとする説がもっとも有力な説だと言われています。, カタカナ”ミ”は三本の横棒をやや右下がりに筆記しているのは、漢字との見分けをしやすいようにとの配慮があったと思われます。, ”三”は音読みでは「み」とは読まず、訓読みで「み」と読みます。これも、訓読みに由来する珍しいケースです, ”ム”は最も初期に書かれるようになったカタカナのひとつで、カタカナが使われるようになったと言われる平安初期よりも前の筆記が残っています。, ”牟”は、釈迦牟尼仏や大牟田などように「む」と読みます。これは呉音ですが、この音がカタカナ”ム”の音になっています。, ”女”は、「く」「ノ」「一」の順番に書きますが、当時の筆記では、よく「く」の部分をなめらかな曲線のように書いていました。そのような筆記において、最後の画を省略(最初の2画のみ)してできたのがカタカナの”メ”です。, 従って、カタカナの”メ”は、当初「く」「ノ」の順に従った筆順でしたが、平安時代末期頃にいつしか「ノ」を最初に書く筆順に変わったと言われています。, ”女”は、女神や女々しいのように「め」と読みますが、この音がカタカナ”メ”の音になっています。, ”モ”の縦画が上に突き出ていないのは、ひらがなの”も”と区別するためだったと言われています。, また、カタカナの”モ”には、漢字の”毛”の省画(2画目或いは3画目の略)から生まれたという別な説もあります。, 実際、平安時代中ほどまでは、”毛”の2画あるいは3画目を省画して、「乇」のように書いたていた筆記が残っていますが、この初画の「ノ」を左に払うのではなく、「一」のように左から右に筆を走らせる筆記によって”モ”になったという考えです。, これら、「最後の3画から」という説と「省画から」という説は、どちらが正しいというよりも、両方の書き方から自然と”モ”という字体に落ち着いたという見方もされています。, ”毛”は、毛布など「もう」と読みますが、この一音目の「も」が、カタカナ”モ”の音になっています。, なお、ひらがなの”も”も、漢字の”毛”から生まれましたが、ひらがなの場合は草書から変化しました。, ひらがなの”や”も、漢字の”也”の草体から変化して生まれましたが、ひらがなの”や”の二画目を省いてできたのがカタカナの”ヤ”です。, 草体を続けて筆記したことで生まれたのが、ひらがなの”や”ですが、その草体を丁寧に書きなおした字体、即ち楷書化して変化した字体がカタカナの”ヤ”という解釈もあります。, このように、ひらがなの”や”の二画目の省略と、漢字の”也”の草体の楷書化とは別だと考える説もあるようですが、変化の過程が微妙に異なるだけで、”也”の草体から生まれたという点では同じです。, 漢字の”也”の草体の簡略化と説明する説もありますが、表現が異なるだけで字が生まれた流れとしては同じです。, なお、カタカナの”ヤ”が、漢字”也”の楷書の省画から生まれたとする説は、字体から考えて不自然と考えるべきです。, 漢字”也”は、「なり」と読むのが一般ですが、達也など人名などで「や」と読み(音読み)、この音がカタカナ”ヤ”の音になっています。, ”由”の最後の2画は下方の横画2つである「ニ」ですが、これを続けて筆記することで”ユ”のような字体になります。, しかし、これは現代の筆順に基いて解釈したひとつの説で、実際の生まれはこれとは違うと言われています。, ”由”の筆順には、上記のように「冂」を書いた後に、縦棒「|」をかいてから残りの横線2本を書く筆順がありますが、先に「日」を書いてから「|」という書き方もあります。, 但し、実際には”由”における「丄」の書き方も、縦画を書いてから横画を書く筆順から生まれたとするのが最も適切な解釈とされています。(”由”には3通りの筆順があった), 「丄」の縦画を書き始めるときに、筆を打つようにしたことから少し縦画の上部に角度がついて、そこから徐々に最初の横画が長くなって”ユ”の上部の形に近くなり、最終的に今日の”ユ”の字体になったと言われています。, ”ユ”が、「丄」から変化したというのには根拠があり、カタカナが使われ始めた当初は、”ユ”を「丄」のように筆記していた経緯があるからです。, ”由”は、由来などのように「ゆ」と読みますが、この読みの音がそのままカタカナ”ユ”の音になっています。, また、カタカナの”ユ”は、漢字の”弓”の最初の2画から生まれたとする説もあります。, これは、”弓”の字体を考えると非常に分かりやすいのですが、”弓”は万葉仮名として常用されてはいなかったことや、当初は「丄」のように筆記していたことの説明がつかないことから、この説を否定的に見る人もいます。, これに対して”弓”を起源とする説では、「丄」は使われてはいたが、”弓”を「ゆ」と読むことから最初の2画がこれに置き換わって行った、或いは、「丄」が”ユ”の字体に変化して行く過程で、”弓”の最初の2画の字体の影響を受けたとしています。, ”弓”は、通常「ゆみ」と読みます(訓読み)が、「ゆ」としての読み方(訓読み)もあり、この音がカタカナ”ユ”の音に相当しています。, カタカナの”ヨ”は、漢字の”与”の最後の2画から変化して生まれました。(字体がイメージしやすいように、上図では2画目の途中から緑色で示しています), 当時の”与”は、終画(横画)を右に突き出ない字体の「与」でしたが、この字体の最後の2画を用いているため、当初のカタカナは「ヲ」に近い字体でした。, その後、平安時代中期から下方に横画が加わるようになって、現在の”ヨ”のような字体になりました。, ”与”は、給与のように「よ」と読みますが、この音がカタカナの”ヨ”の音になっています。, また、カタカナの”ヨ”は、下図のように漢字の”與”の画の一部から生まれたとする説がありますが、これは適切ではありません。, 確かに、画の一部(”與”の右側)は”ヨ”の字体に似てはいますが、形状が似ていることから、後から当てはめただけです。この説では、平安中期まで書かれていた「ヲ」に近い字体の説明がつきません。, ”與”は”与”の旧字で、”与”は”與”の略体ですから、本来は同一の漢字です。従って、由来する漢字としては”與”であると言っても間違いではありません。, しかし、あくまで”與”の略体である”与”の最後の2画から変化したもので、”與”の画の一部から生まれたものではありません。, 当初の”ラ”は、漢字”良”の最初の2画の字体に近く、”ラ”の初画は点(ヽ)を打ち、終画も留めて書いていました。, その後、初画を横画に書き、終画を左へ払う筆記になって、今日の”ラ”の字体になりました。, 問題は、”ラ”の読み方です。奈良などは「ら」と読みますが、本来は”良”という漢字には、漢音にも呉音にも「ら」という音はありません。, これについては諸説がありますが、呉音の「ろう」を古い仮名遣いで「らう」と読んでいた説や、漢字が朝鮮を経て伝来した際に、朝鮮での読み「ら」が伝わったとする説が有力です。, なお、ひらがなの”ら”も、漢字の”良”から生まれましたが、ひらがなの場合は”良”の草書体から変化しました。, カタカナの”リ”は、漢字の”利”の旁(つくり)である「りっとう」から生まれました。, ”利”は、利用などのように「り」と読みますが、この音がそのままカタカナ”リ”の音になっています。, なお、ひらがなの”り”も、漢字の”利”から生まれましたが、ひらがなの場合は”利”の草書体から生まれました。, カタカナの”リ”と、ひらがなの”り”とでは字体が似ていますが、その生まれた経緯が全く違います。, 当初のカタカナ”ル”は、最終画が「儿」のように、垂直に下ろした筆記が直角に右方向になる字体でしたが、その後、現在のように右上に跳ね上げる字体に変化しました。, 漢字の”流”の最後の2画から生まれたのが定説ですが、”ル”の形状から考えて、”流”の最後から1画目と3画目から生まれたとする説もあります。, また、「最後の2画からの筆記」と、「最後から1画目と3画目の筆記」とが併存する中で自然と”ル”の字体に落ち着いたとする説もあります。, ”流”は、流布や流転などのように「る」と読み(呉音)ますが、この音がカタカナ”ル”の音になっています。, 当初のカタカナ”レ”は、”礼”の旁に似た「乚」のような字体をしていましたが、その後、右上に跳ね上げて今日の”レ”の字体になりました。ひらがなの”し”と区別する意図があったのかもしれません。, ”礼”は、儀礼や典礼などのように「れい」と読みますが、この一音目の「れ」が、カタカナ”レ”の音になっています。, なお、ひらがなの”れ”も、漢字の”礼”から生まれましたが、ひらがなの場合は”礼”の草体からできました。, 当時の”呂”は、4画目の「ノ」を書かない字体「吕」(口を縦に2つ書く字体)でしたし、上下の「ロ」の形状は似ているので、”呂”の最後の3画から生まれたとする説もあります。, ”呂”は、風呂などのように「ろ」と読みますが、この音がカタカナ”ロ”の音になっています。, なお、ひらがなの”ろ”も、漢字の”呂”から生まれましたが、ひらがなの場合は”呂”の草体からできました。, ”和”の旁である「口」は3画ですが、草書体の場合、1画目の縦画の筆を戻す形で2画目を続けて書き、その後、3画目は右から左へ払うような筆記になります。この筆記を崩すことで”ワ”の字体になりました。, 和は、和平や調和のように「わ」と読みますが、この音がカタカナ”ワ”の音になっています。, ひらがなの”わ”も、漢字の”和”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”和”の草体から変化してできました。, ところで、”和”の旁である「口」は、隷書(古い書体のひとつで略した筆記をする)の場合は、一画目と三画目をつなげて書いていました。, つまり、「口」を記述する場合に、「└」と「┐」の2画で筆記していましたが、同じ”和”からできたとしながらも、この隷書から”ワ”になったとする説もあります。, また、カタカナの”ワ”は、「わ」と読む漢字”輪”を記号であらわした「○」から変化したとする説があります。, 輪は文字通り「輪っか」、即ち「丸」を意味しますが、この丸を図形的な記号として「〇」で表し、その筆記の仕方から変化して”ワ”になったというわけです。, 但し、カタカナ”ワ”は、当初、”和”の偏である「禾」(のぎへん)を用いていた経緯があることから、語源はあくまで”和”であるとするのが定説となっています。, 「禾」を用いていたのは、カタカナの成立過程の時期ですが、カタカナ”イ”には当初、語源である”伊”の旁(つくり)「尹」も用いられていたことと同種です。, 実際に、江戸時代までは、カタカナの”ヰ”としては、「井」の字体がそのまま用いられていました。, 明治時代になって、漢字の”井”とカタカナの”井”の区別がつかないことから、”ヰ”の字体になりました。, 違、偉、緯など、「韋」を含んで「い」と読める字がいくつもありますが、「韋」の中にある「ヰ」の部分が影響して、”ヰ”の字体に収まったようです。, ”井”は、井戸のように「い」と読みますが、この音がカタカナ”ヰ”の音になっています。(現在では「ヰ」と「イ」は同じ音とされています), ”恵”を草体で書くと、字体の下方が「ヱ」のような筆記になりますが、これがもとで”ヱ”となりました。, ”ヱ”は、知恵のように「え」と読みますが、この音がカタカナ”ヱ”の音になっています。(現在では「ヱ」と「エ」は同じ音とされています), なお、ひらがなの”ゑ”も、漢字の”恵”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”恵”の草体からできました。, また、カタカナの”ヱ”は、漢字の”慧”の草体の一部(下部)から生まれたという説もあります。, これは、”恵”の場合と似ていますが、”慧”を草体で書くと、”恵”と同様、字体の下方が「ヱ」のような筆記になり、これがもとになります。, 知恵のことを智慧とも書くのように、”慧”は「え」と読みますが、この音がカタカナ”ヱ”の音になったとしています。, 最初の3画を続けて筆記する中に、最初の2画がいずれも左から右に筆記する横画に変化して”ヲ”の字体になりました。, ”ヲ”の筆順は、”フ”を先に書くのでは無く、横画二本を先に書きますが、この筆順に語源である”乎”の由来が残っています。, ”乎”は、漢文の読み下しにおいて「を」と読み(呉音)ますが、この音がカタカナ”ヲ”の音になっています。, 【ン】

ぷよぷよ くろいシグ 小説, うたプリ 4th グッズ, キャナリー ロウ 鶴見 コロナ, ケンタッキー 部位 ポイント, Auスマートパスプレミアム 動画 パソコン,